いわさきちひろ「大人になること」

群馬の総合セラピースクール
スペースアンジュの
小暮奈々子です。

昨日のブログでも
ご紹介した
私の大好きな
いわさきちひろさんの
文章
「大人になること」。

ネットで見つけたので
ご紹介したいと思います。

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「大人になること」

人はよく若かったときのことを、
とくに女の人は
娘ざかりの
美しかったころのことを
何にもまして
いい時であったように語ります。
けれど私は
自分をふりかえってみて、
娘時代がよかったとは
どうしても思えないのです。

といっても
なにも私が特別不幸な娘時代を
送っていた
というわけではありません。
戦争時代のことは別として、
私は一見、
しあわせそうな普通の暮しを
していました。
好きな絵を習ったり、
音楽をたのしんだり、
スポーツをやったりして
よく遊んでいました。

けれど生活をささえている
両親の苦労はさほどわからず、
なんでも単純に考え、
簡単に処理し、
人に失礼をしても気付かず、
なにごとにも付和雷同を
していました。
思えばなさけなくも
あさはかな若き日々でありました。

ですから
いくら私の好きなももいろの
洋服が似あったとしても、
リボンのきれいな
ボンネットの帽子を
かわいくかぶれたとしても、
そんなころに
私はもどりたくはないのです。

ましてあのころの、
あんな下手な絵しか描けない自分にもどってしまったとしたら、
これはまさに自殺ものです。

もちろん
いまの私がもうりっぱに
なってしまっていると
いっているのではありません。
だけど
あのころよりは
ましになっていると思っています。そのまだましになった
というようになるまで、
私は二十年以上も
地味な苦労をしたのです。

失敗をかさね、
冷汗をかいて、
少しずつ、少しずつ
ものがわかりかけて
きているのです。
なんで昔にもどれましょう。

少年老いやすく
学成りがたしとか。
老いても学は
成らないのかもしれません。

でも
自分のやりかけた仕事を
一歩ずつたゆみなく
進んでいくのが、
不思議なことだけれど
この世の中の生き甲斐なのです。

若かったころ、
たのしく遊んでいながら、
ふと空しさが風のように
心をよぎっていくことが
ありました。
親からちゃんと愛されているのに、親たちの小さな欠点が見えて
ゆるせなかったこともありました。

いま私は
ちょうど逆の立場になって、
私の若いときによく似た
欠点だらけの息子を愛し、
めんどうな夫がたいせつで、
半身不随の病気の母に
できるだけのことをしたいのです。

これはきっと
私が自分の力で
この世をわたっていく
大人になったせいだと思うのです。

大人というものは
どんなに苦労が多くても、
自分のほうから
人を愛していける人間になること
なんだと思います。

「ひろば」(至光社)53号(1972年4月)より

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初めて読んだのは
36~38歳くらいの頃。
オーラソーマのティーチャーとして
活動を始めた頃です。
読書好きだった
父の本棚に並ぶ1冊でした。

私は中学2年の14歳の頃から
オーラソーマを学び始めた
35歳まで
重度の自律神経失調症で
様々な心身の不調を抱え
社会に適合する事が困難でした。

それでも自分のために
様々なセラピーやヒーリングを
学び実践し、
やっと社会に認められる自分に
なれたような気がしていたと
思います。

でも、社会に認められても
両親は目に見えないものなど
怪しいと
特に母は頑なに
認めてくれませんでした。

40歳近い私と70歳を過ぎた母。
どうしてわかってくれないのか
どうして褒めてくれないのか
事あるごとに
泣きながら母と
大ゲンカしてました。

でも、40歳を過ぎたある日
唐突に
「あ、私、大人になった」と
感じたのです。

私はわかってもらいたくて
愛してもらいたくて
自分がもらうことだけ
考えていましたが
ありのままの私をわかって欲しい
受け入れて欲しいというのは
母も同じことです。

「受け入れられない」のが
ありのままの母なのです。

もう、私は母の母になるしか
無いんだと
頭ではなく深いところで
納得した瞬間があったのです。

そこから
母に対する私の意識と態度が
変わっていったので
母の態度も
関係性も変わりました。

4年前に母が亡くなる前
半年間の介護と看護は
私にとっては
幸せな思い出です。

理屈ではなく
愛を実践していけること。
実践できた自分がいたこと。

ちひろさんの文章を読んで
あまりにも自分が未熟で
情けなくて
号泣してから20年。
ちひろさんの
大人の定義に少しは近づけた
自分になれていたら
しあわせだと思います。

らぶ
ななこ